2007年9月29日土曜日

フィリピンは変わらないフィリピンで

フトこんな事を思ってしまいました。
目の前に有る困難しか見えていない人が多そうです。
言い換えれば余裕が無い。
欲は三大欲求が基本に成っていて、無いから耐えることは知っていても我慢だとかセーブは解からないかも知れない。
多分行き成りフィリピン中が変わらない限り何も変わらないのかな?
または世代が代わったとしても、まだ数百年は変わりそうも無い気がします。
必要以上に関与してはいけないのかもしれない。
フィリピンは変わらないフィリピンで良いのかもしれない。

2007年8月31日金曜日

嘘はつく

平気で嘘はつかないとは思うが、
家族の為ならば平気で嘘をつくでしょう。
確かめたいのならば「貴方の神に誓って嘘をついていないか?」と尋ねましょう。
そこで言葉に詰まったのならば嘘を言っている可能性は高いでしょう。

出稼ぎ

やはり出稼ぎ(海外に働きに出る)に行くと言う事はそれだけお金を必要とする。
そう言う事なのです。
貧困から脱出する為の手段。
それが自分1人の為でなく家族及び親族の為。

2007年8月18日土曜日

信じる

ちょっと違う話で狭い視野になりますがフィリピンの人を見ていると
信じる、信用、信頼と言う事を考えさせられます。
疑ったり信じられなかったりするとは思いますが、何を基準に信頼関係を築いているのか?
彼らから聞く話で
基本的には親族です。
親兄弟姉妹以外信じられないと言う人が多いでしょう。
そして祖父祖母。
親類、同宗教。
親類までいってしまうと生活や環境、性格の違いからつきあいも変わってくると思います。
兄弟姉妹であっても成長と共に同じ事が言えるでしょう。
こういう成り立ちだと早く結婚して子供を沢山作り早く祖父祖母に成った方が安心が手に入るのでしょう。村にでも成ってしまえばセキュリティ強化にもなる。
でもこれには家族が食べていくものが必要になる。
食べるもの
雨風日光を防いでくれるもの
土地
金銭が有ればなおさら良い。
どん欲のセーブ。
ルール。
一攫千金は外国人のゲットでしょうか。
愛を語り生の執着。博愛から底なしの欲求が生まれがちに成るのでしょうか?
フィリピン人は平均寿命は早いらしい。
海外(出稼ぎ)に出て行くときの心境は出兵の様な気持ちでいくらしい。
でも出稼ぎに出た人たちは安定した食事が約束される。
待っている家族たちはヒナが口をあけた状態に陥る。
送り出した大人たちも今までの我慢して来た苦労がよぎるのでしょうか。
でも過去を断ち切らないとサドンデスになってしまうのに。
それに気づいた家族が居れば良いですが相当葛藤するでしょうね。
又は海外移住を考える人も多いようです。
考えるだけはね。
これを時代事、背景事に並列にして日本に置き換えて考えたら。
また更に別の国に入れ替えてみたり、どう変化するのかな?各国どんな国になるんだろう?

2007年8月16日木曜日

日本のフィリピン女性

この前テレビで「離婚したフィリピン女性の生活」見たいなのを見ましたがかなり多いのでしょうか私も結構遭遇しています。
フィリピーナの別れたほとんどが騙されたと口にしています。
浮気も結構あるようですが日本人でもあり得る事だし表現方法が結果騙された事になるんですかね。
日本人同士でも別れる人の心の中ではどちらかは騙されたと思う事でしょう。
話を聞いているとタレントとして来ている時よりは離婚しても生活は良いように聞こえます。
日本人と離婚した後、子供はフィリピンに置いて来て出稼ぎをしている話も何人かから聞きました。
ローンを組んでフィリピンに家を建てて子供の夢を叶えてあげてゆっくり暮らしたいそうです。サンプルの家の広告も見せてもらいました。
別れた日本の母親から援助の話も断ったそうです。
家なんてそのお金さえあれば簡単に買えるのに。
旦那が許せないらしい。
帰る場所を自分で造り、それまでは働くらしい。
田舎から出稼ぎに来ているような感じですが国が違うから問題なのでしょうね。
出稼ぎ状態は続いているんですね。
そんな子も居るんですよ。
そんな話も有れば偽装結婚をして入ってきているのもいるみたいですよ。
入国が厳しくなった分やはり増えてるのかな?
偽装結婚も想定内で入籍のチェックも厳しくなっている話も聞きました。
真面目に結婚を考えている人は大変でしょうね。
偽装結婚は昔からある話でフィリピンに限った事ではないですよね。
身近なところでは韓国なんか良く耳にしました。
ビックリしたのが最近もその話を耳にした事です。
韓国の話ですが300万貰って結婚するそうですよ。
当然働く事が目的なのだから労働しかしないのかな?
どんな支払いしてくれるかは知りませんが月々収入が有るとか。
後、掃除屋さんで働いているフィリピーナを見かけました。
おお働いてますね。

2007年8月10日金曜日

借金

この国の人は返せる宛てが無い借金をするようです。
その為に子沢山なのですかねぇ。
お金が無い気持ちを解かってしまって多少のお金が出来ると困っている親族に貸してしまうようです。親族と言っても何処までの親族なのかわかりませんが。
お人好しなんです。
一番困るのがケガや病気の時の医療でしょう。お金掛かりますから。
例えば何処かの国に出稼ぎが決まったりすればそれを元に借金が成立するようです。
でもお金が無くても自然が多いのだから食べ物に困らないと思うのですが便利さが魅力なのでしょう。
昔日本でも良く聞きましたが「古い奴ほど新しいものを欲しがる」なんて言っていましたね。
「もの」とは色々と言い換えられますね。
返済に計画を建てづらいのでしょう。
昔私が祖母にお金をねだると(当時口癖に成っていました)
私の祖母(明治生まれ)が私に言っていました。
「金は天下の回り物」
何処の国でもそうですが金を使って回さなかったら止まりますよね。

2007年6月30日土曜日

インターネット環境

フィリピンはSMARTがインターネット環境を提供していました。
無線ランのような環境です。

フィリピンつながりで知り合いが増えました

最近フィリピンつながりで知り合いが増えました。
日本人男性ですがフィリピンに家を買ってそこにはフィリピンの女性と子供が住んでいるそうです。
取り合えずブタの家畜をさせているとか。
子供にはエンジンは付いてはいませんが船をプレゼントしたそうです。
年に一回はフィリピンに行っていると言っていました。
電話は毎日らしい。
飲みに行っている側から電話をしていました。
何かこの光景私の中学時代からの友人の行動と瓜二つです。
背格好も似ています。
フィリピン女性と付き合うと毎日電話するのが基本なんですかね。

予断ですが
フィリピンでの養殖はチキン、ブタが良く耳にします。
土地があれば比較的簡単に出来るみたいです。
でもチキンは台風の影響により死ぬ確率も高いようです。

2007年6月20日水曜日

フィリピン人の奥さんはアメリカ圏に旅行で行けない?

ある旅行会社の方から聞いたのですが、
フィリピン人と結婚した人が居たそうで
新婚旅行をハワイ、グアム、サイパンを計画しようとしたところ日本人と結婚してもフィリピン人の奥さんはアメリカ圏に旅行を申請する事が出来なかったそうです。
15年日本に居て日本人にならないとだめらしい。
そんな事もあるんですね。
フィリピン人は観光ビザが取れないのかな?
国税払ってない人も多いみたいだから、もしかして税金払っていなかったのかな?

2007年6月13日水曜日

ペソが上がってきているよう

最近はペソが上がってきているようです。
この前行った時からのようですが0.395だったかな?
米ドルとの為替も121円台が続いていますね。
日本でもフィリピンをかすめる様なテレビ番組もだいぶ増えたように思えます。
そう言えばフィリピンに事業を視野に入れた政策なども耳にする機会も増えているようです。
たしかテレビで見たとき三井○○が中国人の変わりに船の運航をフィリピン人にさせる政策でフィリピンに船舶の学校を作ったとかやってました。今年辺り第一期生が出るんじゃなかったかな?
介護系もテレビで取り上げられていますし、日本での介護講習一期生に私の友人のフィリピーナも参加したとか言っていました。
小規模な事業でもフィリピンに行ってみる人も増えているようです。
今までとはちょっと違う形のものが行動しているような?

2007年6月1日金曜日

2007年5月19日土曜日

バーベキュー

13日美女木インター下で私の友人夫妻と他の日本人とフィリピ女性と結婚をしている人たちで待ち合わせをしてバーベキューをしたそうです。
前にも何処か言った話を聞かされた気がします。
ピーパブの子も居たのかな?以前は居たようでしたが?
私も誘われましたが二日酔いのためお断りしました。
多分、フィリピン女性の教会仲間だと思われます。
機会があったら今度聞いてみたいと思います。

2007年5月12日土曜日

忘れるくらい前の話

こんな話も聞いたことが有ります。
知人がマニラに行った時、マニラの町で目前でフィリピン女性がガソリンを掛けられ燃えたそうです。
いつの話か忘れるくらい前の話ですけど。
恨みなんですかねぇ?

ATMでお金を下ろして

そう言えば友人(日本人)がマニラでATMからお金を引き出して道路に出たとき若い男女(フィリピン人)に拳銃を突きつけられ車に乗せられた話を聞きました。
その時は男が車に乗ろうとした時に女の方を必死に殴ったそうで男が駆け寄った時ついでに必死に殴って何を逃れた話を当人から聞きいた事があります。

以前の喧嘩が元?

昨夜セブの田舎のドリンクバーで友人(フィリピン人)の兄弟と親戚が楽しく酒を飲んでいる所にバイクでヘルメットをかぶった奴に行き成り撃たれて親戚1人が死亡し、撃たれて病院へ何人か運ばれたようです。
詳しくは解かりませんが以前の喧嘩?亡くなった方は人の好い人だったそうな。

2007年5月5日土曜日

フィリピンではお金を持っている人が払うのが常識 !?

私が初めてフィリピンに行って友人とフィリピン女性(この二人は結婚しています)の家族の家に何日か泊まっていていたときの事です。
久しぶりに帰ったようでお土産は山のように有りました。親族もおみやげに群がるような光景です。
食事に行ったり買い物に行ったりその都度ぞろぞろとついてきました。
この行動も何日か続き不思議な光景でした。
友人夫婦がお金の事は気にしなくて良いから等と言っていました。
はぁ~。
気にするなと言われると気になります。
今までのお金全部だしているそうで、
例えば今回の為に運転手で兄弟に頼んだそうです。着いた早々ジープニーでみんな移動していたのですがこのジープニーも兄弟が借りたようです。ジープニーは兄弟のお嫁さんの親の物でした。
例えばみんなが遊びに行こう等と誘ってきてみんなで彼らの車を使って飲み屋に行ったりします。
支払いは全部お金を持っている人が払います。当然ガソリン代は請求されます。そこでまぁ友達だから運転代はいらないよ。一緒に楽しんだし。見たいな感じで言われます。
日本人から見ると仕事をしていて当たり前な先入観からすると最低割り勘じゃないの?
なんて思いますが、今までの生活と新生活と物(車や携帯)とのギャップが有りすぎて仕事が有ったとしても仕事をして得る金だけでは足りずの様な感じです。
まぁ仕事も少ないようです。
仕事が無く仕事が出来るまで借金をする人も多いようです。
こなんな話を良く聞きます。
例えばサリサリ(雑貨屋)
少しお金が出来てサリサリをオープンさせたとします。
仕事が少ない田舎などではお金の流通が少ない。
そこで田舎からするとサリサリは便利です。売っている金額もそう高くは無くリーズナブル。
でも今はお金の無い人がかなり居ます。そこでつけで買っていくそうです。
そうこうしている内にサリサリはつけでいっぱいになり閉店しなくてはいけなくなるそうです。
つけをした人からは回収する事も出来ないようです。
この様なサリサリ経営経験をした事のある人は結構いるようです。
人が良いのは良いですが何が足りないのか?
考えないのかなぁ?
エリアでも作らないといけないのかも。
世界共通の常識で日本人は歩く財布の様な物ですから、日本人を知らない人でも慣れてくると調子に乗ってきます。
もしも私が外国人だったら私もきっと日本人からお金を取ろうと(仕事でも)思います。自分たちより良い生活をおくっている。
財布のひもがゆるいし問題にする人が少ない。襲って来ないし。からかな?

2007年5月3日木曜日

雰囲気を満喫

このような雰囲気を満喫してきました。






韓国人の客が多い

今回セブに来て感じた事は時期的なものが有るかも知れませんが若い層の韓国人の客が多くなっている事です。
フィリピンで見かける日本人がおじさんが多いのも変なのかも?
でもマニラに比べたらセブは日本人の学生や若い層も機内や空港内で見かけます。
最近ではドイツ人や各国からフィリピンに集まりだしているようです。
中国人はマニラにマンションをバンバン建設してるとか。




2007年5月2日水曜日

船の上と海


船の上は気持ち良かったです。































        海の中は













こんな感じです。

やはり日本語で話しかける奴は危険です

泊まったホテルはマクタン Costabella Hotel セキュリティのガードマンが入り口から二つのゲートに立っていてそこを抜けてホテルの入り口です。一晩中ビーチにもガードマンがいました。始めのゲートから従業員用の入り口があります。従業員はゲートを通らないんですね。
でもやはりガードマンにも注意が必要かもガードマンも地元の人だしね。自分が手を出さなくとも手引きぐらいは出来るでしょ。
最終日、ガードマンに紹介された船長に日本語で金額の交渉をされ二人で5000ペソと言われ船に乗り次々と営業の人が乗り込んでいて始めは食材の貝を買えとかシャコを買えアワビ買え真珠やサンゴのアクセサリー買え等と続きました。
だんだんむかついて来て、この雰囲気が気に入らなくなった私は怒鳴りまくりました。
残念なのは怒鳴ったお陰で営業は退散し最後の営業まで見学できませんでした。
それでも尚おばあさんとお母さん風なのが泣き脅しのようなトーク。多分一番の親方でしょう。
なんだかんだと結局は倍取られました。
まぁ船に乗りたかったし、でも高かったかな?
その晩また部屋に変な電話が掛かって来ました。
女性のババァな声で私の名前を呼び、「yes」と答えると「che~ck」と言い、いきなり電話を切りました。
何がチェックだ?
フロントに電話をしても電話をしていないとの事でした。
そして、あの帰りのタクシーです。
確かみんな同じ名を名乗ったと思います。
うぉ~むかつく。
感じ方人それぞれか。

2007年4月23日月曜日

セブシティの焼肉

今回SEBUへ出発二日前に予約手配をしてみました。日頃はツアーが多く一ヶ月前から予約をしないと行けないのかな?等と勝手に思い込んでいましたが、席が空いていればチケット買えるんですね。旅慣れていないので「行けるんだ」と思いました。
昨年もセブに来たのですが海につかる事無く帰り、一年を終えてしまったのでリゾートを楽しみ海を目的に行ってきました。候補としてはグアム、サイパンハワイと有りましたが、何故セブにしたかというと知り合いが居たからです。マニラで友人と落ち合う話など有りましたが移動と滞在時間を考えるとリラックスできないのでキャンセルしました。
朝7時ごろ家を出てマニラでアタフタと乗り継ぎセブにPM7:00頃到着予定より遅れて到着です。成田出発から遅れていたので乗り継ぎで乗り遅れたらとあせっていましたが無事到着。出迎えてくれていた友人と落ち合いホテルに行きチェックイン。
迎えのお礼夕食を兼ねて以前より私がはぐらかしていたセブシティの焼肉やへ行きご馳走しました。
目当ての焼肉店には込んでいて入れなかったので近くの店構えの良い店に行きました。
感じとしては日本の焼肉店みたいな造りでした。
彼女たちは満足げにしていましたが日本で食べ慣れている私の感想は品揃えとしては日本と同じでしたが日本のチェーン店よりも不味いです。日本の焼肉が恋しく感じてしまいます。サンチェが初めてな彼女はけげんな顔をして「こんな葉っぱを食べるの?動物のようだと言っていました。」私はこのサンチェは韓国で教えて貰った事を説明しておきました。
この後お店の店員の女の子がキムチをサービスと言って持ってきてくれました。何をしたわけでもなく少し話をしただけです。私個人の感想なのですがフィリピンの人は日本人と解かると喋りたがる人が多い気がします(うさんくさいのを除いて)。特に女性は興味しんしんで目を輝かせて恥ずかしそうに話すんです。珍しいわけではないだろうに?私が珍しい場所に居るのだろうか?そのような態度を見ていると純真に私の目には映ります。

2007年4月18日水曜日

日本人と解ると「0」が増える

二十年前ハワイに行った時、中国人の通じるアクセサリーを売っている露店でアクセサリーを買った時抱き合わせで安くしてくれると言っていたが三つ目のアクセサリーに入った時、帳尻を合わせるような金額でした。
十数年前韓国に行った時、南大門で買い物をしていると日本語で話しかけてくる店の人が居て、売り込む物は偽物の時計。話を聞いていると「偽物だけど重量感など本物に近い」等と言い、「0」が二つくらい高い値段で言ってくる。当時上野で売っている様な物で上野で買ったならば千円位かな?
この時、眼鏡を作ったのですが数時間で出来て日本で買うよりも安くて早く出来ました(この店では日本語が通じません)。
数年前フィリピンで日本人が来るというリゾート地(建築でも日本人がいるらしい)で宿泊した時、砂浜を歩いていると日本後で話しかけられイカダ方の船に乗ら無いかと話しかけられ乗ってみるとことにしました。
「日本人は、うにを食べるでしょ?」と言われ「食べますよ」と答えると、うにを出してくれました。サンミゲルのビールを飲みながらいただきました。次に言ってきたのは「アクセサリを買わないか」とアクセサリを出してきました。真珠やサンゴなど日本でも手に入るけどうん百円位かな?「0」が二つ位多い。次に出てきたのがババエはいらない?別の船で二隻位でやってきました。「日本人は白いのが好きでしょう?」と顔をおしろいで塗りたくったババエが数人。ふ~ん「いらない」などと答え、海が好きなので売り込みを除けば楽しかったです。

現地住民の生活の金額からすると日本人と見ると、ほとんどの事に「0」が一つ二つ付く傾向があるようだ。
特に貝やサンゴのアクセサリには気おつけましょう。歳を取った女性が売り込みます。
現に日本人が余り行かないミンドロの時は、このような事は無く安い印象を受けました。
日本から見ると大した金額ではないかもしれないが、現地ではかなり違う。
日本で例えるなら日本の宝くじのスクラッチで10万から20万当たった感覚なんでしょう。
日本人ってトランプのジョーカーみたい。

2007年4月17日火曜日

ホテルのタクシーも信用できない

セブに行ってきました。やられて頭にきたことを先に。腹立たしくて楽しさが消えてしまうので先に書きます。
泊まったホテルはマクタンにある Costabella Beach Resort の Costabella Hotel セキュリティのガードマンが入り口から二つのゲートに立っていてそこを抜けてホテルの入り口です。一晩中ビーチにもいました。始めのゲートから従業員用の入り口があります。
結構ホテルフロント手配のタクシーは信用していたのですが、私も今回やられました。
帰国の日、朝早い便です。
タクシーに乗る前に金額の交渉をしてから乗るのは基本で知っていました。
ホテル手配のタクシーだったので、車に乗ってからゲートを出る前に「空港まで幾ら」かと聞くと濁すようにゲートをゆっくり抜け、ゆっくり走りユーターンがするのに不便なところに着てから金額を言われて「っん!何?!1000 peso?」どう考えても「0」が一個多い。ふざけるな高すぎると言うと「じゃぁホテルに戻るか?」等と言いゆっくり車を進ませる(このタクシーの運転手は日本語を話しません)。ここからホテルに向かっても、まともに帰らないだろうし、ドアを開けて叫んでも相手にしてくれるのは何人いるか解らないし、乗り換えるにしても朝の通勤で人や車も多いし、搭乗手続きの時間は迫っている。時間に余裕があるなら何とでもできるが、どう考えても不利だ。「く~解った。空港まで行ってくれ。」負けました。実の所日本円も成田に着いてからカードで降ろす予定で日本円の現金も無く、ペソも2500ペソ位しかもって居なかったので腹立たしかった。
また教訓が出来ました。
フィリピンのタクシーは例えどんなホテルに泊まっていようとも気を許してはいけない。
動き出す前、ドアを開けた状態で金額の交渉をする事。
リゾートであったせいかもしれない。

こいつが、その時の運転手です。急いでいた為、車のナンバーを撮りこぼしました。
帰りだったのでトラブルを避ける為支払いました。
冗談ではすみません。
次回はもっとふてぶてしくしてやろう。
今までがラッキーだったのか良い運転手が多かったのに、もっとすべを磨かないと!

2007年3月31日土曜日

初めてフィリピンパブ

初めてフィリピンパブに行ったのは友人Yとフィリピン人女性とのフィリピンでの結婚式から帰ってきてからです。当時は日本語が通じて身近に話せる外国人の集まるお店「身近な外国」という事で、「そこで友達になればフィリピン案内してくれるよ」等と安易な友人Yの言葉から行ってみました。安直です。この手のお店は初めてで日本のキャバクラにも足を踏み入れたことが無かった頃です。この友人に付き合ってもらい行ってみました。場所は西川口、店の名前は覚えていません。
 店に入ると「いらっしゃいませ」の掛け声から始まりました。この時まだ時間も早かったのか店には客が居無ったです。私の性格で初対面の女性とは何を話してよいのやらで話が出来ないのです。友人が「あの子可愛いじゃん」等と言われても、みんな大して差が有るようにも見えないし顔やスタイル年齢など気にならず「お~外国人(フィリピン)ばっかりだ~」。
そんな私を見かねて友人Yが「この前二人でフィリピン行ってきたよ」と話題を振ってくれ、お蔭様でそこから何処へ行ったなど話が進みました。

フィリピンの大学

私の片言の英語で会話しているのだけど、この国の大学は選考科目を聞いてみたりしていると専門学校に近いようです。例えば、銀行、パソコン、事務など。結構女性は大学を出ていて、それが花嫁道具のように思えます。英語も確か第二母国語で結構話せますが日本人英語の様にフィリピンなまりがあったりしてます。どこでもそうだと思うのですが大学は出たもののを感じて日々生活をしているようです。日本もそうだけど教育って人に使える教育何ですかねぇ。使ってくれる人を探すでしょ。日本でも外資系のデパートの掲示板に結構フィリピン人のベビーシッターやメイドなどの掲示を目にする様になって来ています。今、日本には外国人がかなり住んでいるので、外国人をターゲットにしたメイドやベビーシッターの産業が有っても良いかもしれません。

2007年3月25日日曜日

出稼ぎに行く

ファンキー(友人の兄弟)は2005年頃社長の運転手の仕事をゲットして子供と奥さんの為にと張り切って通勤でカビーテからメトロマニラまで朝早くから毎日通っていたけど、過労で倒れてしまったらしい。私から見て起点の利く、まめで人の好い人だからオーバーヒートしたようだ。倒れてしまい職を失って、アラブに出稼ぎに行くことを決めたと言っていたけど。ファンキーは以前にもアラブへ出稼ぎに行った事があると私が始めてフィリピンに来た時に行っていました。その時はアラブの金持ちと友達になったとか自慢していました。彼の日本に居る姉妹から聞いた話だとアラブの仕事は2年契約で行ったら2年帰ってこないらしい。彼女にファンキーは自分家族の様子を見て欲しいと頼んできたそうである。知っている話でもフィリピン人の出稼ぎは良く聞きますね。まとまったお金を手に入れるには出稼ぎに行くのが手っ取り早いからだそうです。

2007年3月18日日曜日

ファンキーの家

そういえばカランバでお世話になったファンキー(友人の義理の弟)が家族の敷地内に家を建てたそうで拝見してきました。以前は彼女の両親の家で彼女の部屋を二人で共有していました。友人の奥さんからすると金額の割りには貧素でボラレタ言い方をしていました。私は多分思うにファンキーは気を使う人なのできっと良い顔をして振舞ったと思います。彼の義理の父の車で新しいボックス型のバスが増えていました。また彼も複雑な女性関係を持っているようで、みんなの前では明るく振舞っていましたが時折見せる顔が色々忙しそうでした。別の所に子供が出来て パロパロ ナ イカウです。その事を家族もまた知っています。う~ん勉強に成ります。忙しい最中持てなして頂ました。
そして私の為に、ここの家族のお母さんが自分の鶏を提供してくれましてくれました。この家のママはいつもニコニコしていて優しそうな人です。私はこの素朴な雰囲気が好きなんです。これでみんなが困らない位の仕事があって生活できれば楽しいかな?日々の暮らしと子供の教育費、電気、ガス、水道、ガソリン代、食べ物。日々何が起きているか知らない私は安直かな?バーベキューをして飲んでいると、また近所から湧き上がるように集まって宴会が始まりました。親族の長老が来て訳も解らず盛り上がって若い娘を長老が口説いて「長老にまた子供が出来てご盛んなんだよ。」のような事をいっていました。娘の1人は日本人と結婚しているそうです。家の前には日本で見かけるトラックで福山運送のトラックが止まっていました。次は私に娘をくれるそうです。「これで親との挨拶は終わったから結婚しろよ」等と話は次々と盛り上がっていきました。今度はファンキーの奥さんの妹のノルマが現れ子供をつれて馴れ初め話に花が咲き、ママがノルマの彼氏にパンチをしたとか。辺りは暗くなり家の中へと移動。
まだこの時の家には電気がまともに付いていません。
今回ガイドをしてくれたのはファンキーの兄弟マイクです。人は良さそうだけど何か頼りないです。
前回おとづれた時はみんな仕事は有ったのですがみんな仕事を失って私のガイドをしたいと言っていましたが滞在期間が短かったので断りました。
この家の儀兄弟ダンテがワルサーPを買ったから撃ってみろとかいって見せに来るのです。前回来た時は別の銃だったような多分日本に無いから気を引くために持ってくるのだろうけど。だれだれは機関銃持っているとか?横でパンパン撃ってるし興味無いからもう十分です。
ポーズをとれと言う事で。

ゴージャス好きな

つい先ほど友人のフィリーピーナの奥さんから電話が入り今月フィリピンに帰るそうだ。
今彼女はカビーテに二階建て屋上付きのオーダーメイドの家を昨年建てました。写真を見せて貰いましたが中央に螺旋階段がありゴージャス好きな彼女は満足げでした。彼女の話だと屋上にある物置を私に提供してくれるそうである。が昨年の台風でその物置の屋根は吹き飛んだと言ってあわてていました。立てている時から話は聞いていましたが結構豆にフィリピンに連絡を入れて奮闘していました。気を抜くと手抜きをされるからだそうです。
何で連絡をしてきたのかと言えばパソコンのメモリースティックの調子が悪いそうで私が見に行く事になりました。後は彼女の家族に私の受けが良かったようで彼女が帰るときは毎回フィリピンに誘いの声をかけてくれるのです。

2007年3月16日金曜日

フィリピンから帰路

フィリピンから日本に帰るときに日本の友人から言われたのが「フィリピンに興味が有ったらフィリピンパブで友達つくれば良いんだよ」と言われました。
「は~。そうなのか?」私は、当時まだフィリピンパブに行った事がありませんでした。初めて話したフィリピン人は彼の奥さんでした。
「じゃぁ日本に帰ったら行ってみようかな?」元々外国人には興味があったので。

2007年3月10日土曜日

ミンダナオのジェネラスサントス

私の友人の結婚披露の延長でミンダナオに行った時は空港に出迎えてくれました。その足でダバオの市場を軽く見学しジェネラルサントスへ。家族に挨拶をして家に入ると老女がいておばあさんと暮らしているのかと思ったらメイドと紹介されました。嘘だか受けで言っていたのか真面目な話かその老女を処女と言っていた。そのメイドさんに挨拶をしたらすごく照れていました。日本人と会うのが初めてだったのだそうです。私も良く有りますが、話したいけど言葉が出来なくて知っている言葉をやっと口にしたり、そわそわしてしまう。そんな感じが伺えました。以前からフィリピンはメイドの習慣が有り余裕のある過程ではメイドを取るようです。日本にもメイドの仕事としてあれば他の国の様にメイドとして呼び寄せる事が出来るのでしょう。前に司法書士だったと思いますが「メイドで呼ぶことは出来ないの?」と聞いた事が有り「日本に習慣が無いから」と言っていた気がします。このメイドさんはこの年まで結婚していないそうです。
その夜は歓迎会の様な宴会を庭先で片言英語で話をし、バロットを幾つ食えるなどと楽しみました。そのままこの家に何日かステイをする予定です。
家で出されたスープが印象的でした。塩ベースでしたが秋田の鍋に近かったです。ここの家は何件かの家とはちょっと違い(暮らしが良いしトイレに便 座が着いていた)、暑い所のせいか味付けが濃い家が多いが味もちょうど好かったです。ライスも美味しかった。フィリピンは甘い味付けが多く感じられまし た。それも超甘いです。
この家はとうもろこしプラントをやっていました。そのプラントに案内されそこにはユニークなシステムの小屋が有りました。それは木の上に小屋を建て、その下に豚小屋があり、横には小さな川(多分農業用)が流れていました。木陰で涼しく快適でそこで軽くバーベキュウーを楽しみ。残ったものはそこから投げ捨て豚のえさになるブタ小屋もブタ特有の臭いも少なく清潔感がありました。
私は海が好きで白い砂浜の海に行きたいと話したら親戚総出で海に行きバーベキューをしてくれました。海外で「海が好きです」と言うと帰ってくる言葉が「何するんだ?バーベキューか?」と良く言われます。外国の人は海はバーべキュー場なんですかね?泳ぐ習慣が少ないせいか?
良く私が外国の人の応対です。フィリピンだけではなく時間を作ってくれるんですよね。
私が20歳位の頃仕事を休む事は罪悪にも等しい職場がありました。外国の友人を案内したり、したい気持ちがあっても「仕事休めないよなぁ。」と良く思っていた自分がいました。そんな外国の人態度は「何て余裕があるんだ、何で自分には出来ないんだ」何て思っていた頃がありました。

鶏の卵で白身の残るふ化ちょと前のゆで卵

鶏の卵で白身の残るふ化ちょと前のゆで卵。それを「バロット」といって民家で叫んで売っていたり町でお店もある。
肝試しではないが何処の家に行ってもわざわざ買ってきてくれます。
コリコリしたゆで卵で羽毛が無ければ想像しなくてすむのですが..............。
私は小学校に理科の実験で鶏のふ化の授業を受けてから想像(受精してても、してなくても、あの可愛がっているヒヨコの前の卵を食べている)してしまい、しばらく卵を食べれませんでした。卵は食べ物と自己暗示をし想像のストーリーを変えて食べました。

祖父が秋田県の出身だったので幼い頃からキリタンポに似た鍋を良く食べていました。人が集まると決まってでした。鶏を丸々使います。頭を切って逆さに吊るし血を抜き羽をむしりカットしてモツも鍋に入れ入れ醤油ベース塩調整で煮ます。秋田米などご飯を磨り潰して団子状にして用意しておき、食べる少し前に汁を染み込ませる様に入れていきます。無くなったら都度その団子を鍋にを入れます。家庭料理ですから。
ミンダナオの家に行った時、出されたスープが塩ベースで秋田の鍋に近かったです。これにご飯を磨り潰して団子状に入れたら似てるかな。
鳥モツを幼い頃から食べていたので多少(羽毛)の事を除けばバロットは食べられます。バロットの食べ方は塩をつけて食べるいたってシンプルなゆで卵の食べ方です。

鍋で思い出しましたが、日本の家族の様に良く集まるけど、日本は長男の家に集まり兄弟たちに無理をしてでも振舞うけど、フィリピンは断らない限り、お金の有る家に集まるんです。ここが違うかも。

フィリピンには結納に近い事

最近聞いた話で、フィリピンには結納に近い事(地域によるのかもしれない)をするらしい。お金だけなのか物や土地で良いのかは解りません。金額はまちまちなのでしょうが、親が納得いく金額でしょう。
もしも結婚を前提に考えているのならば、結納金と思っても良いのかもしれません。
「日本にもあるのでしょう?」と最近言われました。フィリピン人はそう云うつもりでヘルプと言う言葉に置き換えて言っているのですかねぇ?
大体始めはサリサリ(雑貨屋)お金に余裕があればレストラン(運営方法でピンきりです)、車を買ってタクシー、トライシカル、バス、ジープニーを始めるといったところでしょう。運送屋はあまり聞かないです。
何故サリサリ?何人かのフィリピン女性が言っていたのはサリサリのチェーン化で儲けた人が居るそうです。面識の無い人が同じ事を言っているということはテレビででもやったのでしょう。
身近で便利で個売りをしてくれて安く物がある環境。勝手に口コミで人が来る。後、少ない資金で出来る。でもレンタルルームを借りてやるには赤字だと思った方が良いでしょう。
田舎ででのリスクは人が居てもお金や仕事の無い人が居ることです。この場合に多いのが付けで売ってくれと言う人です。この場合近所好きあいもあるので相手にしない訳にもいか無かったり(後で何されるかわからない)、人が良かったり、消極的な人は潰れてしまいます。付けの客を多く扱っている所は借金が出来て失敗しているようです。無責任なようですが食い逃げ状態ですね。
サリサリでも立地条件が良ければ儲かっている所も有るそうです。
大半が親の援助ですね。親が立地条件などを理解せず、消極的な人は泥沼のようにお金を持っている家族にお金の請求が来ることでしょう。
そう言えばミンダナオに行った時これから結婚すると言う若い男のフィリピン人(フィリピーノ)が婚約相手に「お金をあげた。」「助けている」と言っていたような!?とその時は何でか解りませんでした。私が初めてのフィリピン旅行だったし片言英語だったりで解る単語で言っていたのでしょう。

2007年3月8日木曜日

次はマタブンカイ


今回は三人でトライシカル、バスにタクシー、ジープニーを乗り継いで。
途中持参したライターが切れてしまったのでマッチを買うことにした。サリサリとか何処にでも売っているマッチ。フィリピンのマッチ箱は木で出来ていて周りに宣伝などの紙を巻いてあります。フィリピンのマッチは安くて見向きもされないが私のお気に入りです。そのマッチを見て喜んでいる私の顔を見てフィリピンの友人には変わったものが好きだなと首を傾げられました。

マタブンカイは日本人も結構来ているようで日本語を話せる人もそこそこ居ました。
このあたりのホテルで工事をしている日本人が居るらしい。私が日本人とわかると話しかけて寄ってくるなり売込みを始めます。金額を聞いてみるとこのあたりに来る日本人の気前が良いようで居てくる値段が現地の人が使う金額の三倍くらいの金額を言ってきます。日本語の話せるフィリピン人は気をつけないと。どこの国に行ってもそうですが。
イカダに乗って見ることにした。
イカダに乗ってみると日本語が話せる先導で「日本人はウォニ食べるでしょ?ここに来る日本人はウォニ食べるよ!」「うに」。
一ついただくことにした。日頃から魚介類を食べなれていないせいか私はこの「うに」が美味しいか否かはやはり解らない。
今度は装飾品を出してきた。「ジーザスのクロスのネックレス買わない?」
要りません。




換金する時は


換金する時は大体ショッピングモールへ行きました。結構色んな所にあるんですよね。

2007年3月7日水曜日

醤油TOYU

ある日カランバの家にハッポースチロールのクーラーに魚を入れて売り歩く女性(見た目50歳くらい)が来ました。「私日本に行った事あるよ」といっていました。ニヤニヤしながら私を見て「私日本語少し話せる。」といっていました。「魚全部買って。日本人魚食べるよ。」と言っていました。私がファミリーから見て余りにも小食なので心配して相談したらしい。でも私は魚は余り好きではないので「要らない」と断りました。ファンキーがイカを刺身にして醤油何処からか持ってきて出してくれました。
鮮度はどうあれいただきました。
醤油はこの時私は知りました「日本の醤油が何ておいしいのだろう醤油って味が違うんだ」と思いました。
そうそう醤油の事「とゆ」というので何言っているのか解りませんでした。

2007年3月4日日曜日

プエルト・ガレラ


トイレットペーパーをバッグに入れ夜、鳥かごの乗ったトラックに便乗して港まで向かいフェリーでミンドロに渡り(トラックの荷台で移動していたし何処に向かったかも良く解っていない)鳥かごを農家に届けその足でトライシカルとジープニーを乗り継いでミン ドロのプエルト・ガレラに到着。まずは泊まる場所の確保。予約した場所を探します。泊まった場所の感じは二階建てで日本で言うと駐車場付きのカラオケボッ クス見たいなと造りで色はクリーム色に水色ふち。テラスがあって簡易なテーブルとイス、シャワートイレ付きベットは二段ベット、キッチンはプロパンを借りて料理が出来るよう になっています。そこのホテルから真っ直ぐ歩いて行くとそこは海です。
その日の食材探しにファンキーとアレックスで出かけていきました。
ファンキーはクッキングもうまいです。でもこの時は何を作ってくれたのか覚えていません。良く彼は家でも作っています。食事をした後は海に行きました。
浜辺に行くとホワイトサンド!
ポツリポツリとドリンクバーが浜辺に立ち並びヨーロッパ系の人やアメリカ人(聞き違い出なければ英語ではなかった。フランス?)。現地のガイドを引き連れて歩く人もヨーロッパ系白人が結構見受けました。
東洋人風な人は少なく居たとしても中国人だそうです。現地の人も日本人を知らないから大目の金額を吹っ掛けて来る人も居ません。快適です。マニラでは結構すれ違っていた日本人が居ない。少し海に入り戻ってくるとアレックスとイルマが浜辺の木陰でネイルを受けていました。良く周りを見るとTシャツとか売り歩く女性が何人か浜辺の木陰を利用して歩いています。ふ~ん。
日本人を知らない所に来ると日本語で話しかけて来ないことが怪しく感じなく、雰囲気も良いしとても良いところでした。これも彼らが居てくれたから出来たことです。感謝。
帰りは高速船でバタンガスに行きジープニーを乗り継いでカランバに帰りました。

2007年3月3日土曜日

テラスでコーヒーを

私は居候しているので何か手伝いをしようと言って少し手伝ったのですが気を使って貰っているせいもあり、ほとんどすることもありません。ファンキーとその奥さんは鶏(まだひよこですけど)の世話をパーシバルは車の整備、ダンテは仕事、妹のイルマは夜仕事をしているらしく遅い起床。フィリピンは台風の影響を受けやすく、家畜などは台風で失う事が多いいそうです。簡単に出来る鳥小屋は仕事をする上では入りやすいのでしょう。小屋は高床式でした。
近所(みんな親戚だそうです)のアレックスが私に興味があるらしく良く私に話しかけてきます。見るからにバクラ(おかま)っぽいのですが、みんなから観てもやはりバクラだそうです。彼には妹が居て、妹は日本に働きに行っているといっていました。ヘアサロンも経営しているといっていました。
 結局する事も無く自分のためのヤシの木からヤシの実を落としたり、ファミリーのやっていることを見ているしかなく、いつもの様にテラスでコーヒーを飲み話したいことを辞書で調べていている内にコミニュケーションのとり方(片言英語に地球の歩き方付録の片言タガログと英語辞書そしてジェスチャーと絵)も大体決まってきたし「そう言えばせっかくフィリピン来たんだからどっか行けないかなぁ白い砂浜で海が良いなぁ」なんて思いファンキーに相談したところホワイトサンドは限られているらしいが、ミンドロを薦めてきた。
その理由はアレックスがミンドロに鶏を売っている仕事をしているらしくミンドロに良く行っているという事です。アレックスに案内して貰いながら、鳥の世話は両親にお願いして、泊まるところは日本から持っていったガイドブックからコンドミニアムタイプをチョイスし予約の電話はイルマに確認をして貰い四人でプエルト・ガレラ行くことにしました。

1日に5回食事


朝起きると朝飯が有り「クマイナンタヨ」断る言葉を知らないと永遠と言われてしまう。「たべなさい」 この言葉から抜け出すのが大変でした。「要らない」位の断り方だと心配されてしまうからです。食べることに関しては朝食、中間食、昼食、中間食、夕食で1日に5回食事の時間がありました。これ以上食べられません。食えません。家畜がいるせいか飯の近くのハエにも私は気にかかりちょっと一瞬、目が点になりました。今まで気にしたことが無いのかなぁ?私がハエを気にしているので、その家の母親(ナナイ)が皿にノリのような物(ハエ取り紙のような)を作りハエを取ってくれていました。友人が言っていましたが日本人がフィリピンに来ると3日で下痢になると宣告されていましたが私は1週間は無事に過ごせました。私がお腹をこわした事を伝えるとファミリーは心配してくれて、「下痢の時にはヤシの実(ブクジュース)」がよいと言って毎日ヤシの実と取ってくれて食事のたびにヤシの木から採ってくれました。

会話

直接話しているにもかかわらず、私が何故「らしい」を連呼してしまうのか?それはフィリピンが初めてで日本語を話せるのは友人の奥さんだけだからです。彼女が居ない場所で話をするときは英語の辞書と一人歩きの本の片言の言葉、ジェスチャーから会話をし。ニュアンスとイメージをフルに使い肝心なところは英語の辞書でお互いに言葉を捜しあう。そんな会話だからです。相手も良く付き合ってくれました。

行き成り1週間ステイ

運転してくれたのは友人の奥さんの兄弟でニックネーム=ファンキーこの後、彼と彼の奥さん(イルマ)そしてファミリーには大変お世話に成りました。向こうのファミリーから見れば何の関係も無いファンキーから見て姉の旦那の友人で、イルマの家族からすると何の関係も無いですよね。友人夫婦とは別行動を取りこの家に1人で行き成り1週間ステイしました。それはウェルカムジーザスがウェルカムと言われたような感じです。この家の居間のテーブルの真ん中に有ったような?ウェルカムジーザスはどの家にもありましたね。ファミリーの、また着なさいの言葉にちょっと悪乗りしました。この間、友人夫婦はボラカイへ......。
私は朝起きるとこの家のテラスでコーヒーを飲みながらタバコを吸いボーと人の流れや道を眺めるのが日課です。家の造りの雰囲気が良くてそうしていました。近所の人が物珍しそうに観に来たり話しかけてくれます。テラスには屋根が有りテーブルが有って椅子が二つ、テラスの周りには腰掛けてもテーブル代わりにしても、ちょうど良いくらいのフェンス。
時間が有ると良く話をしてくれるのがイルマの父(パーシバル)が良く相手をしてくれました。田舎は良いが「マニラはデンジャラーだから気をつけないといけないよ」と言われた。まぁこの後ミンダナウに行く時も同じようなことは言っていましたけど、「海賊が出るから危険だから行くのは止めてここに居ろ」と言われてました。確かにそのようだけど友人の親戚がミンダナウに居るし奥さんが見せたいものがあるらしくミンダナウに行くことは決定していましたから、飛行機で行くから海賊は来ないよなどと言って行きましたが良く心配してくれます。確かこの時テレビのニュースで船が襲われた事もやっていました。良く有るそうですパーシバル(タタイ)が言っていました。自分の親族関係以外余り信用しない様です。この家では豚と鶏を家畜として世話をしている家で、鶏が放し飼い状態のが数ひき走り回っているのと、ファンキー(ニックネーム)の面倒見ているひよこ小屋がありました。まだファンキーは始めたばかりらしく小屋が新かった。豚は豚小屋ですよ。周りにはヤシの気がありヤシの実を取ってご馳走してもらいました。ファンキーとは友人の奥さんの兄弟です。ナナイは花が好きで良く花の世話をしています。後家畜の世話。タタイは昔日本に行ってディーゼル車の勉強をしたといっていました。良く日本人にバカヤロウと言われたそうでどういう意味だと聞かれ私は恥ずかしくなり、この下品な言葉の説明をし、日本人を代表して謝っておきました。タタイはエンジニアなのだそうで整備は自分でやるんだといってエンジンを良くいじっています。しかも素手で。ガス溶接もしていましたがゴーグルもせず肉眼でしていました。作業を終えた彼の目からは涙が出てて充血し少し腫れていました。ちょっと痛々しかったです。彼はジープニーを持っていて近所のジュニアスクールの送り迎えをするのが仕事らしい。パーシバルは私に仕事を創ってくれと言っていました。そしてダンテをよろしくと.............。何でこんな事を言っているのだろうか?

少しずつ部品を足して



ジープと言う名のハンドメイドカーがありました。エンジンはトヨタのレビンだとしきりに自慢されました。この車の持ち主の名前はダンテ(友人の奥さんの兄弟のワイフの兄弟)。お金が出来ると少しずつ部品を足しているそうです。この時は日本の会社で確か日本車の内装部品を製造している工場に夜から仕事といって通っていました。この時の給金が日本円で約2万円位だったかな?この車でチョイ買い物の時連れて行ってもらいました。彼はビデオが好きで彼とビデオ屋に行きました。なんか店舗は狭くほとんどがダビングされた物でした。日本に研修しに行くから待っててくれとか、日本の雑誌を取り出しては女の子紹介してくれとか、良く言われました。

マニラの排気ガスはすごかった

この時はジープニーを親族からか借りてきてくれていて、それが私たちの移動手段でした。マニラの排気ガスはすごかった。車の量も有りましたがディーゼル車も多い。日本から中古で来たような車が結構目にします。バスも有りました。暑さにプラス排気ガスでしょ?光化学スモッグとか気にならないのかなぁ?町に居る人もハンカチやタオルを口に当てている人も結構目にします。あわただしく人が行き来していました。急いでいるのかな?車で移動中、交差点で車が詰まる場所があり道路に人が出てきて、そこでは車に乗っている人に対してタバコの一本売りをしている人やお菓子を持って売りに着ます。知らないとちょっと怖いかも。

ガンショップ

マカティとか町に買い物に行くときは必ず、ボディーガードと言って何人か着いて来てくれました。いつも見渡してくれて真剣顔をしていました。初めてだったせいかな?でもショッピングモールやホテルの前にはショットガンを持った警察?ガードマン?が立っていました。ショッピングモールの中でで目に飛び込んできたのがガンショップです。「えっショッピングモールで売ってるの?」ちょっとビックリです。

2007年2月22日木曜日

大まかな地図

フィリピンってまともな地図が無いんですよ。まだ整理できていないからだと友人の奥さんは言っています。
私は地図を本屋に寄る機会があるたびに探していました。本屋に言って探しても大まかな地図や広告の入った地図しかありませんでした。それに有っても地図は値段が高いです。

2007年2月18日日曜日

色んな家があるんだなぁ

友人のアサワは7人姉妹兄弟だったような?私も一緒に兄弟姉妹の中で結婚している各家に挨拶まわりをしました。感想は結婚した相手で家々で違う。まぁ日本でも何処でもそうなのでしょう。中でも中国人と結婚している家は裕福に見えました。親の家から近くに住む姉妹夫婦。この後、旦那が亡くなり最近再婚したそうです。兄弟で留置されているのが居るらしく「麻薬」で留置されているらしい。彼にも面会に行きました。彼は妻子を持っています。家にも行きましたが屋根が無い家でまだ完成していません。詳しい話は聞いていませんがふ~んって感じです。後でフィリピンパブなどで知るのですが結構この手のトラブルは多いようです。訪れた家には兄弟で運転手や手配、ボディガードなどをしてくれたFがいます。彼は家を出てアサワの家族と暮らしています。いつも彼の奥さんは一緒に居ます。私は好感を持っていたのですが後で聞いたのですが良く思っていなかったらしい。でも友人のアサワに言われていたらしく我慢していたようです。私が調子に乗ってしまい結構迷惑をかけました。調子に乗ってこの家族の家にホームステイもしてしまいました。お陰で楽しかったです。色んな家があるんだなぁ。

トイレは様式なのですが

初めて行って民家に泊まったのでトイレに困りました。
そこはシャワーとトイレが一緒(これは大して普通ですね)で 横には大きなゴミバケツに水が張ってあり中に柄杓が入っています。
トイレは様式なのですが、水のタンクがありません!?。
トイレを使ったらバケツから水をくみ渦を作って流すのです(結構テクがいります)。小用の時は気になりませんでしたが、大の時でした。良く見るとトイレットペーパーが無い??日本人友人Yに話をすると「トイレットペーパーは持っていたほうが良いよ無いから」と言われ二人で用意しました。
フィリピンでは手で拭くみたいです。ようを足した後の専用の石鹸もあります。直接聞いていませんが個々に専用の石鹸があると思います。彼のアサワ(奥さん)に「トイレットペーパー流しても良い?」と聞くと「大丈夫よ」とのことでした。?便座が無い?私は取り合えず中腰で大はしましたが二日悩みました。私は思いました「フィリピンの人は絶えず中腰で大をしているならば、相当な脚力になるに違いない。トイレで日々鍛錬を積んでいるのか?」等と勝手に解釈をしていました。でもこの姿勢は疲れる。
流すのにも苦労しました。慣れていない事もあり大きいバケツ半分は使ってしまいます。渦を作るのは難しい。デパートのトイレに入っても二種類同タイプがあったような?
ある晩三人でサンミゲルのビールを飲んで話している時に恥ずかしい話なんだけど「あの便器でどんな格好で大をするの?」と聞いて見ました。友人アサワが「幼い頃は便器の上にしゃがんで、今はそのまま」と言われ「それは大変ね」なんていわれてしまいました。便器に直接に変えましたが座ると冷たいです。それに座ると高さが足りずチ〇〇を持っていないとチ〇〇が便器の下に着いてしまうのに持っているのかなぁ?これは聞いていません。
ホテルはトイレットペーパーも便座も着いています。

フィリピンの印象

初めてのフィリピンの印象は「同じような顔がいっぱい居るなぁ」でした。
私が幼い頃、近くにアメリカの基地だかスクールだか居住区があり、みんな同じ顔に見えていました(ヨーロッパ系全部ですけど)。ストーリーがあると一人ひとりの顔が見えてくるのですよね。
またアメリカから見たアジア人はみんな同じ顔に見えるとも聞いた事があります。
私たちに接する態度はちょっと引いた様にも見えました。それは私がアメリカ人になって、まるで戦後の日本にアメリカ人が来て日本を見回すようなイメージをしていました(戦後の日本を知りませんがイメージが湧いてきた)。気を使ってくれていたのかな?

2007年2月15日木曜日

お土産分配



フィリピン初日はマニラでした。記憶が薄いので確か友人奥さんに成る人の家にカビーテに泊まったような気がします。山のようなお土産に両親兄弟、両親の兄弟、両親の兄弟の子供が群がるようにお土産を期待して待っていました。表情が語っていました。「すげ~」その晩はレストランで食事をして挨拶をしてその後は宴会です。
でも、良く思い起こしてみれば、私の幼少時期もそうだったかも。お土産は別として親も兄弟は多かったし親戚従兄弟で毎年集まって食べていましたね。日本も昭和初期の親を持っていると親は兄弟多い人多いのではないでしょうか?

フィリピーナはゲップ

フィリピーナは食事をしている時に平気でゲップをします。私はゲップは余り好きではないので印象は悪いです。 私が訪ねると彼女たち曰く「親しくなった証拠だと」言います。接点の無いフィリピーナが同じ事を言うのです。嫌いだと言ってもなかなか辞めないです。お~やめてくれ。開き直っているようにしか見えません。

フィリピンはこれが初めて


私が多少フィリピンに関わる様になったのは友人Yの結婚式でした。結婚前は彼女とは何度か三人でスキーや食事をしたことがありました。友人Yは日本の高校の同級生です。 当時の私は仕事も順調で一つの区切りに入り時間と多少のお金に余裕があったのでフィリピンに同行して結婚式に参列することになりました。結局は簡易結婚式ですが。結婚に関しての資料は、日本に居るフィリピン人及び日本人に向けた雑誌の中で結婚手続きの広告から抜粋したそうで日本で準備したそうです。フィリピンはこれが初めてで約3週間行って来ました。

2007年2月13日火曜日

今思えば

当時あまり世界史など興味が無くコマーシャルで金髪の女の子が出ていると単純に綺麗だなとか漠然としていました。私が始めてフィリピン人を知ったのは多分25年位前です。友人Sの父親が家に帰って来ないと言う話をしていました。「フィリピーナとアパートを借りて一緒に住んでいて今から行くんだけど一緒に行かない?」興味本位とバイクで出かけるのが楽しかったので着いていくことにしました。っま結局本人は留守で「待ち合わせをしていたから居るはずなんだけど」と、アパートの鍵を友人は持っていたので中に入って待つと言うので私は友人Sの父親に面識がないので帰る事にしました。当時まだ携帯が無かったので、その後友人と会ったと思います。
この頃は「お前んちの父ちゃん外国人と住んでいるんだ!すげー」何て思っていました。まだ当時、私は金髪=外国人でフィリピンがアジアだと知らないのです。
後に友人Sの彼が言うことには「フィリピン人を日本に連れてきてフィリピンパブを始めたなのは俺の親父だ」とよく言っていました。